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岐阜地方裁判所 昭和56年(ワ)324号 判決

原告 伊藤逸郎

被告 国

代理人 岡崎真喜次 矢野志一 立花益實 野村弘 ほか五名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二四二万七九二〇円及びこれに対する昭和五五年四月一日以降支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮に、原告の請求の全部又は一部が認容され、かつ、これに仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告

原告は、昭和四八年五月二一日、医師免許を取得した医師である。

原告は、昭和五二年四月一日付をもつて、岐阜大学長によつて、同大学医学部附属病院(以下、「岐阜大学病院」という。)神経科・精神科(以下、同大学病院神経科・精神科のことを単に「神経精神科」ともいう。)所属の医員(国家公務員法((以下、「国公法」という。))二条一、二項、同法付則一三条、人事院規則八―一四に基づいて、日々雇い入れられる一般職の非常勤職員)として、「任期は一日とする。ただし、任命権者(同大学長)が別段の措置をしない限り、昭和五三年三月三〇日まで任用を日日更新し、以後更新しない。」旨の条件で採用された。そして、原告は、その後も同大学長によつて、〈1〉昭和五三年四月一日付をもつて、任用更新期間を同年五月三一日までとし、〈2〉同年六月一日付をもつて、任用更新期間を同五四年三月三〇日までとし、〈3〉同年四月一日付をもつて、任用更新期間を同五五年三月三〇日までとし、右同様の条件のもとに神経精神科所属の医員として継続して採用されてきた。

(二) 訴外難波益之は、昭和四二年七月一六日付をもつて、同大学医学部教授、神経科・精神科長に任命され、同日以降、同科の業務を統括し、その所属職員を監督するなどの公権力の行使にあたつている国家公務員である(以下、右難波を「難波科長」という。)。

2  原告の医員採用決定

原告が昭和五五年四月一日付をもつて任期を一日、任用更新期間を同日から同五六年三月三〇日まで(以下、右任用更新期間のことを便宜「昭和五五年度任用期間」ともいう。)として神経精神科所属の医員に採用されるべきことは、遅くとも同年三月二四日の時点においては実質的に決定されていた。したがつて、右の時点においては、神経精神科長である難波科長としては、その個人的見解のいかんにかかわらず、原告の採用を拒み得ない段階に至つていたものというべく、昭和五五年度任用期間に関する原告の採用については、あとは岐阜大学長による形式的任命行為すなわち辞令交付手続が残されているにすぎないという状況にあつたことは明らかである。以下、この点について敷衍して主張する。

(一) 第一次的理由

従来からの神経精神科の取扱いによれば、同科所属の医員がその任用更新期間満了後も継続して同科所属の医員として採用されることを希望した場合には、当該希望者がその希望に従つて採用されるべきことは当然のこととされてきており、同科医局においても、右取扱いが妥当なものとして承認されていた。したがつて、更新期間満了に伴う医員の継続採用の場合にあつては、当該医員においてこれを希望しさえすれば実質的には当然にその採用が決定することになつていたものというべきところ、原告においては、昭和五五年度任用期間についても継続(原告が、昭和五二年四月一日から同科所属の医員の地位にあつたことは右1の(一)において主張したとおりである。)して同科所属の医員として採用されるべきことを希望しており、しかも、昭和五五年三月二四日までには、同科所属医員の定員数やその給与支給のための予算措置等の観点からしても、原告の採用を妨ぐべき事由はなんら存在しないという状況となつていた。そうとすれば、おそくとも右昭和五五年三月二四日の時点においては、昭和五五年度任用期間についても原告を同科所属の医員として継続採用すべきことが実質的にはすでに決定ずみであつたものというべきである。

(二) 第二次的理由

医員の任命は、病院長の選考を経て学長が行うこととされている(国家公務員法五五条二項、人事に関する権限の委任等に関する規程((昭和三二年七月二二日付文部省訓令))三条、「国立大学病院の医員の取扱いについて」と題する昭和四五年四月三〇日付文大病第二七九号附属病院を置く各国立大学長宛文部省大臣官房長、文部省大学学術局長通達参照)。したがつて、制度的には、医員の採否は、病院長がその選考によつて決定すべきものであり、右選考の結果その採用が適当と認められた者が学長によつて医員に任命されることになるのである。しかして、昭和四五年四月三〇日付四五大病第二四号附属病院を置く各国立大学事務局長宛文部省大学学術局大学病院課長通知によれば、病院長が医員の選考にあたり必要に応じて科長会議を含む当該附属病院の諮問機関に諮ることはさしつかえないものとされているところ、岐阜大学病院長は、昭和五五年度任用期間について採用すべき医員の選考に関して同年三月二四日開催の科長会議にその諮問をし、同会議の諮問意見を受けて、右同日、右諮問意見のとおりに同年度任用期間について採用すべき医員の選考手続を完了し、その結果、原告を同年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用すべきことが決定したのであつて、このことは、以下に詳述するような事情・経過に照らして明らかである。

(1) 医員の採用にあたつては予め当該医員に対する給与支給のための予算措置が講ぜられていることが必要不可欠であつて、このような予算措置の裏付けもないままに医員を採用することができないことはもとより明らかである。そこで、岐阜大学病院事務部は、このような予算措置を講ずるための準備として昭和五五年一月ころから、各診療科におけるそれまでの医員採用実績をはじめ昭和五五年度任用期間についての医員採用希望者数等を参考にしながら関係諸機関との間に所要の予算折衝を重ねた。そして、同年三月中旬ころまでには、右のような予算措置ないしは予算手当の伴つた医員定員(同大学病院全体で採用可能な医員の定員)を確保することができるに至つた。

(2) これを受けて、同年三月二四日、昭和五五年度任用期間についての医員採用等を協議するための科長会議が開催された。この席上、難波科長は、「神経精神科としては、現職医員のうち原告を含む四名の者を継続して採用する。このほかにも、同年五月に医員たりうる資格を取得するであろう臨床研修中の医員(以下「医員((研修医))」ともいう。)一名を同年五月に医員として採用する予定である。神経精神科としては、そうすることが必要である。」旨主張した。その結果、右会議では、昭和五五年度任用期間についての神経精神科所属の医員として原告を含む右五名を採用すべきことが諒解され、しかも神経精神科所属の医員の定員を五名とすることが決定された。

(3) 岐阜大学病院は、右科長会議の決定に従つた医員任命手続、すなわち任命されるべき医員に対する辞令交付手続を行うために、同病院事務部を通じて、各診療科科長に対して右会議で決定された当該診療科所属医員の定員数に相当する枚数の「医員申請書」と題する定型様式の用紙(以下、「医員申請書用紙」という。)を配布した。そして、神経精神科においては、難波科長が継続採用の予定されていた原告を含む同科所属の四名の医員に対して右用紙を交付した。

(4) 一方、昭和五五年四月一日以降における神経精神科のすべての診療計画(宿日直勤務計画、診療室の割当て等)は、昭和五五年度任用期間についても原告が引き続き同科所属の医員として勤務することを前提として策定されたものであつたばかりでなく、また、原告が従来主治医としてその診療にあたつてきた患者に対する同年四月一日以降の診療についても、原告の退職が予定されていたならば当然講ぜらるべきであつた諸般の手続、すなわち、診療担当医師の変更手続やその引継手続など(神経精神科では、その診療の性質上、主治医が変更となる場合には、十分な引継ぎを行うことが必要不可欠である。)が全く採られていなかつた。以上(1)ないし(4)のような経過に加え、科長会議が前記のように昭和五五年三月二四日に開催されてから昭和五五年度任用期間について採用される医員への辞令交付が行われるべき時期である同年四月一日までの間に、医員の選考権者である病院長から科長会議やその他の岐阜大学病院の諮問機関に対して右のような医員採用についてなんらかの諮問をするというような機会が毫もなかつたことをも併せ考察すると前記三月二四日開催の科長会議においては、まず、当該診療科がその所属医員として採用すべきことを予定している者の医員採用について、当該診療科長がその余の各診療科長の承認・諒解を取りつけ、ついで、右のような承認・諒解に依拠して、各診療科ごとの採用予定者数に相応する各診療科ごとの医員定員が決定されたものというべく、右科長会議はこのような決定をもつて病院長からの昭和五五年度任用期間について採用すべき医員の選考諮問に対する科長会議の意見・判断を示したものということができる。このように、右会議において昭和五五年度任用期間について採用すべき医員の選考に関する科長会議としての意見・判断が示された以上、制度上の医員選考権者としての病院長もまた、前同日この意見・判断と同旨の医員選考をして該選考手続を終了したものというべきである。そして、右会議において採用予定者とされた者に対してのみ交付されるべきはずの医員申請書用紙が原告に交付されたことによつて、右の選考結果は原告に対しても告知されたものというべきである。

以上のように、昭和五五年三月二四日には、昭和五五年度任用期間について採用すべき医員の病院長による選考手続が終了し、原告が右医員として採用されるべきこともすでに決定ずみであつたら、このような段階に至つてから、医員選考権者ではない難波科長において、右選考結果を覆し、昭和五五年度任用期間について原告を神経精神科所属の医員として採用することを拒み、あるいは、これを適法に妨げることのできないことは多言を要しない。

3  難波科長の違法行為

ところが、難波科長は、右病院長による選考に基づいて昭和五五年度任用期間について原告が神経精神科所属の医員として採用されることを妨害するために、以下のような違法行為をあえてした。

すなわち、岐阜大学病院においては、病院長の選考を経て医員として採用されるべきことが決まつた者(以下、「医員採用内定者」ともいう。)に対する学長の形式的任命行為、すなわち、医員採用内定者に対する辞令交付手続は、次のような手順を経て行われている。〈1〉まず、同大学病院事務局から医員採用内定者に対して医員申請書用紙が担当科長(当該医員採用内定者が採用後所属することの予定されている診療科の科長)を経て配布される。〈2〉ついで、医員採用内定者は、医員申請書用紙の関係欄のうち、自己の記入すべき部分(氏名、勤務期間、勤務希望日等)に所要の記入(これらの記入が終つたものを、以下「医員申請書」という。)をして該申請書を担当科長に差し出す。〈3〉担当担当科長は、医員採用内定者から差し出された医員申請書上欄の担当科長署名・押印欄に自ら署名・押印して、これを病院長に提出する。〈4〉病院長が、これを受けて、当該医員採用内定者に対して辞令を交付すべき旨の形式的決裁をする。そのような手続を経てから、最終的に学長名義の採用辞令が医員採用内定者に対して交付される。しかして、原告については、さきに2において主張したように、昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用されるべきことがすでに決まつていたのであるから、その担当科長である難波科長は、原告から医員申請書を差し出された場合、右〈3〉記載の手続を採るべき職務上の義務を負つていたものというべきである。しかるに難波科長は、原告から医員申請書を差し出されたのにもかかわらず、「昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員に任命する。」旨の学長名義の辞令が原告に対して交付されるのを妨害する目的で、故意に右義務の履行を怠つて原告から差し出された医員申請書について右〈3〉記載の手続を履践せず、よつて、原告に対する学長からの右辞令交付を最終的に不可能ならしめた。

4  権利侵害

もしも、難波科長が当然に行うべき右職務上の義務を履行(右3の〈3〉記載の手続を履践)していたとすれば、学長は原告に対して昭和五五年四月一日付をもつて「昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員に任命する。」旨の辞令を交付していたはずであり、そうすれば、原告が同日以降昭和五六年三月三〇日まで引き続き同科所属の医員として勤務できたことは確実である。そして、前記2において主張したような経過にかんがみると、原告が昭和五五年度任用期間についても同科所属の医員として勤務しうべき権利ないしは、同科所属の医員として採用されることに対する期待権は、法的保護に値する成熟した権利というべきところ、難波科長の右3記載の違法行為の故に原告が右権利を侵害されたことは明らかである。

5  損害

(一) 逸失利益 金一四二万七九二〇円

原告が昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用されておれば、原告は同五五年四月一日から同五六年三月三〇日までの間の日曜日及び火曜日を除くすべての日(総日数二六〇日)を同科所属の医員として勤務していたはずであり、これに対しては、一日当たり金五四九二円の割合による金員が給与として支給されたはずである。したがつて、右権利侵害の故に、原告が右給与総額金一四二万七九二〇円(金五四九二円×二六〇日)の得べかりし利益を喪失したことは明らかである。

(二) 慰藉料 金一〇〇万円

難波科長が故意に前示のような職務上の義務を懈怠したものであることはすでに主張したとおりであるが、かかる違法行為にいでてまで昭和五五年度任用期間について原告が神経精神科所属の医員として採用されることを妨害した難波科長の動機・意図が次のような点にあつたことは明らかである。すなわち、昭和五五年当時、神経精神科においては、難波科長による同科の人事運営、予算執行のあり方や研究・診療の態度などについて、同科所属の多数の医師(助教授、講師、助手及び医員)から批判の声があがつていた。これらの者は、同科の人事、予算等を民主的、合理的に運営することを目的として、同科についてのいわゆる「医局内規」を策定するための協議を重ねていた。原告も、右「医局内規」の策定に賛同する意見を有していた。ところが、難波科長は、右「医局内規」の策定を阻止しようと目論み、「医局内規」の策定に賛同する意見を持つ原告が医員として採用されるのを妨げ、いわば「みせしめ」とすることによつて、原告と同様の意見をもつ多数の同科所属の医師に対してこのような意見を持つことの不利益を示そうとしたのである。以上にみてきたような難波科長の違法行為それ自体とその動機・意図に照らすと、難波科長のかかる違法行為の故に、医員として採用され勤務を続けることを妨げられた原告の受けた精神的苦痛を慰藉するために支払われるべき慰藉料の額が金一〇〇万円を下回ることのないことは明らかである。

6  被告は、国家賠償法一条一項に基づき、その公権力の行使にあたる公務員である難波科長がその職務を行うについて原告に与えた右5の(一)及び(二)の損害の合計額たる金二四二万七九二〇円を賠償すべき義務がある。よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償金二四二万七九二〇円とこれに対する難波科長の前記不法行為がされた日よりもあとの日であることの明らかな昭和五五年四月一日以降その支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否並びに被告の主張

1  請求原因1の(一)及び(二)の事実は、いずれもこれを認める。

2  同2の事実のうち、冒頭及び(一)記載の事実は、いずれもこれを否認する。

同2の(二)の事実は、そのうち、(ア)医員の任命は病院長の選考を経て学長が行うこと、(イ)昭和五五年三月二四日に科長会議が開催され、右会議では、昭和五五年度任用期間についての神経精神科所属医員の定員が五名と決められたこと、(ウ)右会議の後、岐阜大学病院事務部が各診療科長に対して右会議で決められた各診療科所属医員の定員数に相当する枚数の医員申請書用紙を配布したこと、以上の諸点はこれを認めるが、その余の諸点は、すべてこれを否認する。

昭和五五年三月二四日に開催された科長会議では、単に昭和五五年度任用期間についての各診療科所属医員の定員数が決められたにすぎず、同会議で、昭和五五年度任用期間について採用すべき医員の選考に関する科長会議の意見・判断が示され、かつこの意見・判断に基づいて病院長もまた前同日該判断と同旨の医員選考手続を終えたというがごとき事実はない。岐阜大学病院においては、科長会議で各診療科所属医員の定員が決められたのち、右定員の枠に従つた医員の採用選考が以下の手順で行われる。すなわち、〈1〉同大学病院事務部は、科長会議で決められた各診療科所属医員の定員数に相当する枚数の医員申請書用紙を各診療科長秘書に配布する。〈2〉右秘書は、当該診療科における医員採用希望者に対して、右医員申請書用紙を配布する。〈3〉医員採用希望者は、医員申請書用紙のうち、当該希望者の記入すべき部分(氏名、勤務期間、勤務希望日等)に所要事項を記入して該申請書を担当科長に差し出す。〈4〉これを受けた担当科長は、当該医員採用希望者が当該診療科所属の医員として採用するのに適当な者であると判断した場合に、当該採用希望者から差し出された医員申請書上欄の「右の者を当該診療科所属の医員として採用したいので承認願います。」旨を記載した病院長に対する上申部分(右上申文言は、不動文字で印刷ずみである。)に自ら署名・押印して、該申請書を病院長に提出する。〈5〉病院長は、担当科長から右の上申があつた医員採用希望者をもつて医員として採用するのに適当な者にあたると判断してその選考を行う。以上に述べたような過程を経て実施される岐阜大学病院における医員選考にあつては、担当科長による右〈4〉記載の上申部分への署名・押印の有無が決定的な意味を持ち、病院長としては、右上申部分に担当科長からの署名・押印を得た医員採用希望者に限り当該診療科所属の医員として採用するのを適当な者にあたる旨の判断をしている、ということができる。そうとすれば、医員採用希望者の採用が実質的に決まるのは、早くとも担当科長が右上申部分に署名・押印して医員申請書を病院長に対して提出した時点である、というのほかはない。ちなみに、かかる医員選考手続が、「病院長は医員の選考にあたり、必要に応じ、科長会議等の当該附属病院の諮問機関に諮ることはさしつかえない。」旨の文部省大学学術局大学病院課長通知(昭和四五年四月三〇日付四五大病第二四号)の趣旨に反するものでないことも明らかである。けだし、右通知は、病院長に対し、医員選考にあたり科長会議等の当該附属病院の諮問機関に諮問することを義務づけるものではなく、病院長が他の合理的な方法によつて医員選考を行うことを妨げてはいないものということができるからである。そして、科長は、自己が所属する診療科の業務を統括し、その所属職員を監督する責務を負う者であつて、その立場上、最もよく当該診療科所属医員としての適格性を判断できる者であるということができる。そうとすれば、病院長がかかる立場にある担当科長の意見に沿つて医員の選考を行うことは、疑いもなくきわめて合理的な方法であるというべきである。

さて、本件にあつては、難波科長は、昭和五五年度任用期間についても原告を神経精神科所属の医員として採用することが不適当であると判断したので、昭和五五年三月二六日、原告に対し、原告の採用方を病院長にあてて上申する意思のないことを告知したうえ、原告から差し出されていた医員申請書の上欄の上申部分に署名・押印してこれを病院長に提出することを拒否したのである。したがつて、すでに主張したような岐阜大学病院における医員選考手続に照らしてみると、遅くとも同月二四日までに昭和五五年度任用期間についても原告が神経精神科所属の医員として採用されるべきことが実質的に決まつていた旨の原告の主張が失当であることはいうをまたない。

3  同3及び4の各事実は、いずれもこれを否認する。

右2に主張したように、難波科長は、昭和五五年度任用期間について原告を神経精神科所属の医員として採用するのは不適当であると判断し、病院長に対し、その採用方を上申しなかつたのであるから、本件において、原告が昭和五五年度任用期間について神経精神科所属の医員として採用されることを期待できる権利をすでに取得していたと解する余地はなく、したがつて、また、当然のことながら、右権利の侵害による損害が原告に発生する理由もない。

4  同5の主張は、これを争う。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1の(一)及び(二)の事実は、いずれも当事者間に争いのないところである。

二  そこで、請求原因2の(一)の点について検討をする。

医員が、国家公務員法二条一・二項、同法付則一三条、人事院規則八―一四に基づき日々雇い入れられる非常勤の一般職員であつて、その任命は、病院長の選考を経て学長によつてなされることは当事者間に争いのないところである。しかして、<証拠略>によれば、文部省大臣官房長、文部省大学学術局長は、かねてから、医員の任命権者である附属病院を置く国立大学長に対して、医員の常勤化防止のためその任免については以下のような取扱いをすべきことを指示してきていることが認められる。すなわち、〈1〉医員の任期は一日とし、継続して勤務させる必要がある場合には任用を日日更新することができること、〈2〉しかし、右更新については一二か月を超えない範囲内でその終期を定め、右終期到来後は引き続き採用しないものとすべきこと、以上のような指示がされているのである。したがつて、特定の医員についてその採用の当初に定められた右更新期間が満了した場合、右更新期間満了後も医員として勤務することを欲する当該医員としては再度あらためて病院長の選考を経て医員として採用されるという方法を選ぶべきことはきわめて明らかであつて、右更新期間の満了した医員が継続して採用されることを病院長に対して明示的に希望しさえすれば、当然に当該医員の継続採用が決定され、それに沿う辞令が交付されることになるという趣旨に帰着する原告の請求原因2の(一)記載の主張は、もとより失当であつて、当裁判所のとうてい左袒できないところというのほかはない。

三  ついで、請求原因2の(二)の点について検討をすすめる。

<証拠略>を総合すれば、(ア)原告は、昭和五五年度任用期間についても引き続き神経精神科所属の医員として採用されることを希望していたこと、(イ)原告は、それ以前の医員任用期間については昭和五五年三月三〇日の経過をもつてその期間が満了したため、同日医員を退職したこと、(ウ)しかし、原告に対しては、同年四月一日付の「昭和五五年度任用期間について神経精神科所属の医員に任命する。」旨の学長からの辞令が交付されず、結局、昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用されたい旨の原告の希望はかなえられなかつたこと、以上の点が明らかであるが、前掲各証拠を総合すると、その間の事情・経過については、更に以下のような事実を認めることができる。すなわち、

1  医員を採用するための行政的手順としては、採用すべき医員の給与等の支給に当てるべき予算措置をあらかじめ講じておくことが必要不可欠である。そこで、岐阜大学病院事務部においては、昭和五五年度任用期間についての医員採用を行うための前提として採用すべき医員の給与等の支給に当てるべき予算措置を講ずべく、まず、同年一月ころ、各診療科長に対し、当該各診療科が昭和五五年度任用期間について採用を予定している医員の氏名、員数の提示方を求めた。ちなみに、右提示要請に対して、神経精神科長であつた難波益之は、「同科としては、当時同科所属の医員として勤務していた原告を含む四名の医員を継続して採用したい。このほか、昭和五五年度任用期間中に臨床研修課程を修了する二名の医員(研修医)を医員として採用することと、他に一名の医員を新規採用することを予定している。」旨の回答をした。

2  病院事務部の右1のような提示要請に対する各診療科長からの回答にかかる医員採用予定者数や昭和五四年度任用期間における各診療科ごとの医員採用実績を参考としながら、同大学病院事務部が関係諸機関と予算折衝を重ねた結果、昭和五五年三月中旬ころまでに、同大学病院全体で採用の可能な昭和五五年度任用期間についての医員定員の確定をみるに至つた。そして、これを受けて、同月二四日、右医員定員を各診療科に割り振ることを協議するための科長会議が開催された(なお、右同日科長会議が開催されたことは当事者間に争いがない。)。この席上、難波科長は、「神経精神科としては、原告を含む四名の現職医員の継続採用のほかに、医員(研修医)一名をあらためて医員として採用することが必要である。それ故、同科所属医員の定員として最低五名の枠が必要である。」旨強く主張・要求し、その結果、右科長会議においては、昭和五五年度任用期間についての神経精神科所属医員の定員を五名とすることが諒承された。

3  右科長会議においては、昭和五五年度任用期間についての各診療科ごとの医員定員についての決議が行われたため、同大学病院事務部は、医員制度が発足した昭和四五年から引き続き同大学病院においてとられてきている方法・手順――なお、この方法・手順は以下〈1〉ないし〈3〉のとおりである。〈1〉同大学病院事務部は各診療科ごとの所属医員の定員についての科長会議の決議があると、この数に見合う枚数の医員申請書用紙(この用紙は、医員として採用されることを希望する者がその氏名、勤務期間、勤務希望日等を記入し、そのうえで、同用紙上欄の「右の者を当該診療科所属の医員として採用したいので承認願います。」旨を記載した病院長宛の不動文字の上申部分に担当科長が署名・押印する形式となつている。)を各診療科長に対して配布する。〈2〉そして、右医員申請書用紙のうちの医員採用希望者の記入すべき部分に当該希望者が所定の事項を記入し、ついで、右上申部分に担当科長が署名・押印して、これを同大学病院事務部に差し出すと、同部は、これらを取りまとめて、医員の選考権者である病院長に提出してその決裁(この決裁は、実際上きわめて形式的なものとなつていた。)を求める。〈3〉右決裁が終わると、当該医員採用希望者は病院長の選考を経てその採用が決定されたものとされ、ついで、その者に対する学長名義の辞令発付手続が同大学医学部事務部の手によつてすすめられる。――に従つて、医員任命手続を行うべく、まず、各診療科長に対し、各診療科所属医員の定員数に見合う枚数の医員申請書用紙を配布した。

4  神経精神科においては、同月二五日ころ、昭和五五年度任用期間についても同科所属の医員として採用されることを希望していた原告を含む四名の医員に対して同科長秘書を介して右医員申請書用紙が配布された。そこで、原告は、直ちに自己の記入すべき部分への所要事項の記入を了して、これを担当科長である難波益之に対して差し出した。

5  これを受けた難波科長は、同月二六日、原告を同科長の研究室に呼び出し、医局内規試案(同科の構成員を拘束する内部的規則を制定するために、制定すべき規則の原案として同科に所属する教授・助教授・講師・助手及び医員を構成員とする医局会議でそのころ討議が重ねられていた試案であつて、同科の人事運営及び予算執行を右医局会議の決議に基づいて行うべきことをその主たる内容とするもの)についての原告の意見を糺した。そして、同科長は、「右試案の内容は正当・妥当なものであるからこれを支持する。」旨主張する原告に対し、その主張を撤回することを求めたが、原告は、これに強く反発し、その意見・主張を変える意向のないことを表明した。同科長は、このような原告の態度やそれまでの原告の勤務状況――とりわけ、シユライバー業務(カルテの口述筆記業務)が医師法に違反するという考えに立脚して、難波科長の行う診察の際にもシユライバー業務に就くことを拒否してきた原告の行動――に照らしてみると、原告は、同科長が同科の業務を統括してゆくうえで好ましからざる人物であつて、もしも原告が昭和五五年度任用期間についても同科所属の医員として採用されるようなことになれば、同科長としては、同科の業務を責任をもつて統轄して行くことが困難であると判断するに至つた。そこで、同科長は、原告に対し、「原告から同科長の手許に医員申請書が差し出されているけれども、自分は、病院長あての前記上申部分に担当科長として署名・押印する意向がない。」旨を告げ、そして、同科長は原告の右医員申請書を同大学病院事務部に提出しなかつた。

6  しかして、右1及び2に記載したように、昭和五五年度任用期間についても原告を神経精神科所属の医員として採用すべきことを予定して同科所属医員の定員が決められ、しかも、原告自身も同採用希望の意思を明示していたのにもかかわらず、難波科長が同大学病院事務部に原告の医員申請書を提出しなかつたため、同部においては、原告の医員採用手続を進めるべきか否かの対応に苦慮し、難波科長と同大学病院長に対して原告の医員採用希望をどのように取り扱うべきかについて、その指示を求めた。これに対して、難波科長が「原告を採用することは不適当と考える。」旨の意見を表明したため、難波科長の右意見を知らされた病院長においても、「担当科長が原告を採用することに反対であるのならば、病院長としても原告の採用が適当であるとは判断できない。原告については、その採用手続を進めるには及ばない。」旨の意向・指示を伝えるに至つた。そこで、同大学病院事務部が原告の採用に関する事務的手続を進めなかつたため、原告は、昭和五五年三月三〇日に昭和五四年度任用期間についての医員としての任期が満了して退職し、「昭和五五年度任用期間について神経精神科所属の医員として採用する。」旨の同年四月一日付の辞令交付を受けることができなかつた。

以上1ないし6の各事実が認められ、この認定に反するような証拠はない。

以上1ないし6の事実に徴すると、岐阜大学病院においては、医員の選考等にあたつて、(一)制度上の医員選考権者たる同大学病院長は、個々の医員採用希望者を同大学病院の医員として採用するのが適当であるか否かの判断を当該医員採用希望者がその採用後に配属されることを希望している診療科の科長に事実上委ね、もつぱら右担当科長の意見・判断に依拠して医員の選考を行つていること、そして、(二)右担当科長の意見・判断を確認する便宜上の方法として、まず、医員採用希望者がその医員申請書を担当科長に差し出し、ついで、右提出を受けた担当科長において、当該医員採用希望者の採用が適当であると判断した場合に、右医員申請書上欄の前記上申部分に自己の署名・押印を施して、これを病院長に提出するという方法をとつていること、以上の点が認められる。したがつて、同大学の病院長は、医員申請書上欄の前記上申部分に担当科長の署名・押印が施されている医員申請書の提出を受けた場合に限り、当該申請人を医員として採用すべきことを決定している、と認めるのほかはない。ところで、本件においては、昭和五五年三月二六日、難波科長が原告に対してその医員申請書上欄の上申部分に署名・押印することを拒否したことは前記認定のとおりであるから、このような本件においては、昭和五五年度任用期間について、原告の採用が病院長の選考を経てすでに決定ずみであつたなどとはとうてい認められないことが明らかである。

そうとすれば、おそくとも昭和五五年三月二四日開催の科長会議を経たことによつて、病院長が原告を昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用する旨の決定をしていたとの趣旨に帰着する原告の請求原因2の(二)の主張は、とうてい失当として排斥を免れず、その他、本件に現れたすべての証拠を精査してみても、昭和五五年四月一日(昭和五五年度任用期間について採用される医員に対して辞令が交付される日)以前に、原告を昭和五五年度任用期間についても神経精神科所属の医員として採用する旨の病院長による決定があつたことを肯認するに足りるような証跡を見いだし得ない。

なお、付言すると、岐阜大学病院のような比較的大規模な国立大学附属病院の医員採用にあたつて、各診療科に所属する個々の医員の資質や勤務状態等その採否を決定するのに必要な事項を選考権者である病院長自らが把握するなどしてその選考を行うというようなことは、事実上不可能か又は少なくとも著しく困難である。他方、担当科長は、当該診療科に所属する個々の医員の資質や勤務状態を最も良く知ることのできる立場にあるのに加えて、特定の医員採用希望者が採用された暁には、これを監督すべき責務を負うものであるから、その採否については重大な関心を抱かざるを得ないであろう。担当科長のこのような立場や責任に徴すると、岐阜大学病院にみられる医員選考方法、すなわち、当該診療科の業務の適正な運営という観点からする担当科長の裁量的判断・意見にもつぱら依拠して医員の選考を行うという医員選考方法は、必ずしも不合理ではなく、もとよりこの方法自体を目して違法・不当視することができないことは明らかである。もつとも、このような医員選考の方法がとられる場合には、当然のことながら担当科長の意見・判断が医員の採否を事実上決定することになるから、右意見・判断が恣意にわたるものであつてはならないことはもちろんである。しかし、本件のあらゆる証拠を精査してみても、昭和五五年度任用期間について原告を神経精神科所属の医員として採用するのは適当でないとした難波科長の前記判断が、著しく不当であつて、担当科長の裁量の範囲を逸脱したものであるとまで断定するに足りるような証跡を発見することができない。

四  してみると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、その理由のないことが明らかであるから、これを失当として棄却することとし、なお、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 服部正明 高橋勝男 綿引万里子)

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